2020年9月6日日曜日

カタカナ英語は理解されない?〜言葉はむずかしい

 9月4日の妙高市役所のFacebookの投稿から

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【官民連携による地域課題の解決を! ~「みょうこうミライ会議」のキックオフミーティングを開催~】

   「みょうこうミライ会議」は8月4日にプレキックオフミーティングをオンライン(web会議)で開催し、これまでチーム毎にリモートを活用しながら、課題に対しての意見交換やアイデア出しなどを行ってきました。

   キックオフミーティングは参加者が現地に集い、フィールドワーク(関係者へのヒアリングや視察)を通じて、課題解決へ向けたバックデータ収集や現地の雰囲気を体感する場として、8月28日に開催されました。

   当日は午前中に市役所にて全体会議を行った後、各チームに分かれ、妙高市内で各施設や観光名所を視察したり、実際にバスに乗車するなどして関係者へのヒアリングや参加者によるグループワークを夜まで行いました。

   次回は10月28日~30日の予定で、事業化を目的に、合宿形式による立案・プレゼンテーションを実施することとなっています。

<みょうこうミライ会議(官民連携プラットフォーム)の概要>

都市部企業が持つノウハウ・技術を取り込みながら、市民団体、妙高市の3者による

チームを組成し、地域課題、政策課題を解決していくものです。

今年度の課題テーマは①交通分野と②新たな人の流れ分野の2テーマとなります。

都市部企業からは(株)NearME、ダイハツ工業(株)、(株)カヤック、日本マイクロソフト(株)、(株)ワーナーミュージック・ジャパンから参画いただき、妙高市の課題解決に向け、検討していただくこととなっています。

※詳細は下記からもご覧いただけます

<みょうこうミライ会議「note(ノート)」のURⅬ>

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これに対するコメントに驚いた。

「カタカナ文字に慣れないと前期高齢者は進めない」とコメントするかた。そしてまたそれにいいねをするかた。

カタカナ文字の「理解のされにくさ」について改めて考えさせらた。


↓書かれているカタカナ文字を分析すると・・(社名や固有名詞は省略)


・キックオフミーティング プレキックオフミーティング 合わせて3箇所

・オンライン 1箇所

・フィールドワーク 1箇所

・ヒヤリング 2箇所

・バックデータ 1箇所

・チーム 1箇所

・グループワーク 1箇所

・プラットフォーム 1箇所


これらは全て英語をカタカナにしたものなので本来の言語で書くとこうです。(私訳)


・キックオフミーティング プレキックオフミーティング kick off meeting/pre- =初会合/初会合の事前会

・オンライン online =回線に接続されている状態

・フィールドワーク fieldwork =現地調査

・ヒヤリング hearing =聞き取り

・バックデータ backdata =過去の情報

・チーム team =共同の団体

・グループワーク group work=団体作業(支援的)

・プラットフォーム platform=基礎となる環境


この市役所の投稿にどれくらいの方が理解できないと感じたのか。

また、それはどんな方なのか。

どうすればよいのか(カタカナを使わずに日本語に訳せばいいのか、解説をつけるのがいいのか、本来の原文を示すなど・・)

私も頻繁に「村越さんは難しいことを言う」と指摘を受けることから、こうした場面の回避に苦慮している。


問題は何なのか

英語をそのままカタカナで標記している問題も出てくる。

そこが課題だとしたら、違和感無く使っている方はどのような思考で使っているのか(英語で表現しているものを分かりやすくカタカナにしているのか? さもなければ、普通に使っている言葉として認知しているのか)。

ある方は、英語で書くべきだという主張もある。例えば、オンラインはonlineなどと。

調べれば、ディスレクシアという読字障害というものもあるようだ。


ただ現状から察するに、このカタカナ英語は西洋料理のカレーライスのように日本語化したものではないか。

なぜなら、外国人と英語で会話するときに同じ意味でこれらの言葉を使うだろうか、さらに使ったとしても、カタカナ標記の時の発音とは異なると思えるからだ。


言葉は難しい。

パン と言って解らない人が殆どいない言葉まで認知されなければ使うべきではないのか、というとそうではないはずだ。

本来の意味とは違くても共通に認識できる言葉となればそれは公用に耐える。一方で身の回りでは一般的で最も理解しやすい言葉と思っていても、ある方には全く理解できないものがあることも事実。

いずれにせよ、分かる人にだけ伝わっていればいい場合とそうでない場合の使い分けや、ケースバイケースで伝える努力は必要といえる。

2020年8月10日月曜日

リーダー育成の真実

 リーダーとは他をまとめ、引っ張っていく人材のことと思われている。


リーダーは小グループや組織の中で必要とされる。

地域にそうした役割を担う人材がいないと、住民の意志が統一されず地域が迷走したり、外部と交渉ができない事態に陥る。

また、リーダーがいないと組織が生まれにくい側面もある。「この指とまれ」をやる者である。


このようにリーダーは、集団がまとまっていく中で必要な役目であったり、何かが動き出すためになくてはならない存在であることに間違いはない。

実際的には、5人、10人、・・・千人、数万人の中に1人必要な船頭。それがリーダーであることに違いはないのだが、ここに大きな落とし穴がある。


「リーダー育成」は何のために行うのか?

・集団にとって正しい意思決定ができるようにするため

・地域振興の核となる団体や、社会的な事業を生むため

そのためのトップとなれる人を育てるため、そう思われているふしはないか。


私は、グループや組織がまとまって、うまくやっていくために必要なものは、一人のリーダーの存在ではないと思っている。


こうした最悪なケースを思い浮かべていただきたい・・

集団の中で手を上げた一人が自分の考えを押し付けようとしたり、またそれ以外の者が都合よくぶら下がっていることが常態化した状態。


「どうせあの人に逆らったって」「私らは責任を負いたくないから」

ついには手を上げた一人を称賛するようになるが、雲行きが怪しくなれば一斉に避難をし始める。


ここに何が欠けているか。

一言で、それぞれの"主体性"である。

大切なことは、主体性は全員に必要だということである。

参加、意見、意思表示、評価、こうした責任の持ちようが全く違ってくる。

リーダーシップとは、こうした主体性のことをいうのである。


極端なことを言うと、良い集団は全員がこのリーダーシップ(主体性)を備えている。

良きリーダーは己の特性を活かしながら、全員のリーダーシップを尊重して決定し、それを損なうことなく最大限活かしていくことができる。同時に、相互の補完やさらなる醸成に努める。


社会的な集団はそのためにリーダー育成をするのである。

また、そうした社会であれば、誰もがリーダーとして活躍できるチャンスに満ちているということだ。