2020年8月10日月曜日

リーダー育成の真実

 リーダーとは他をまとめ、引っ張っていく人材のことと思われている。


リーダーは小グループや組織の中で必要とされる。

地域にそうした役割を担う人材がいないと、住民の意志が統一されず地域が迷走したり、外部と交渉ができない事態に陥る。

また、リーダーがいないと組織が生まれにくい側面もある。「この指とまれ」をやる者である。


このようにリーダーは、集団がまとまっていく中で必要な役目であったり、何かが動き出すためになくてはならない存在であることに間違いはない。

実際的には、5人、10人、・・・千人、数万人の中に1人必要な船頭。それがリーダーであることに違いはないのだが、ここに大きな落とし穴がある。


「リーダー育成」は何のために行うのか?

・集団にとって正しい意思決定ができるようにするため

・地域振興の核となる団体や、社会的な事業を生むため

そのためのトップとなれる人を育てるため、そう思われているふしはないか。


私は、グループや組織がまとまって、うまくやっていくために必要なものは、一人のリーダーの存在ではないと思っている。


こうした最悪なケースを思い浮かべていただきたい・・

集団の中で手を上げた一人が自分の考えを押し付けようとしたり、またそれ以外の者が都合よくぶら下がっていることが常態化した状態。


「どうせあの人に逆らったって」「私らは責任を負いたくないから」

ついには手を上げた一人を称賛するようになるが、雲行きが怪しくなれば一斉に避難をし始める。


ここに何が欠けているか。

一言で、それぞれの"主体性"である。

大切なことは、主体性は全員に必要だということである。

参加、意見、意思表示、評価、こうした責任の持ちようが全く違ってくる。

リーダーシップとは、こうした主体性のことをいうのである。


極端なことを言うと、良い集団は全員がこのリーダーシップ(主体性)を備えている。

良きリーダーは己の特性を活かしながら、全員のリーダーシップを尊重して決定し、それを損なうことなく最大限活かしていくことができる。同時に、相互の補完やさらなる醸成に努める。


社会的な集団はそのためにリーダー育成をするのである。

また、そうした社会であれば、誰もがリーダーとして活躍できるチャンスに満ちているということだ。