ESD
Education of Sustainable Developmentは、「持続可能な開発のための教育」と和訳されています。このESDは、これから先 重要です!Sustainable Development は、日本語に直訳して「持続可能な開発」と一般的には呼ばれていますが、これが理解をぼやかしている原因ではないでしょうか。
比較的分かりやすいこちらです。↓
「将来の世代が必要とするものを損なうことなく、現在の世代の要求を満足させる開発。」
さらに解りやすく、「持続可能」を自分の身体に置き換えてみると、こんな感じ・・
いま目の前のご馳走がどんなに美味しくても、食べ続けていたら翌年に入院するはめになるような料理は、持続可能とは言えない。
つまり、食べて美味しい、という今の満足だけではなく、それを食べ続けた時に、より健康になれる食生活が持続可能と呼べるもので、そうした料理を創造していくことが持続可能な開発、ということになります。
この例をずっと長いスパンで、さらに、地球規模で当てはめて考えてもらえばいいのです。
そうした開発について知ったり、実践して学ぼう。というのがESDです。
また、学びとは、あらゆる人が、あらゆる場所で、あらゆる機会を通して行えるものです。このESDも、大人であろうが、企業であろうが学びを実践できるはずです。
<持続可能ではない開発>
地球資源を減らしていく開発
地球環境を汚染させていく開発
人や動物、生き物に負荷をかけるような開発
↓
持っているものと、持たないものの存在
利益を得るものと、被害を被るものの存在
(ステークホルダーの役割)
今からちょうど一年前、2018年の9月議会の一般質問で、社会的責任(SR/Social Responsibility)について触れました。行政、企業、各種団体は、それぞれの立場で持続可能性(Sustainability)を求めていく社会的責任があると思います。その過程のなかで、横断的に持続可能性を学ぶことが「持続可能な開発のための教育」=ESDと認識しています。
また、そうした学びを提供することも同様です。
なぜ学びにこだわるかというと、教育は地域、団体、社会を動かすベクトルが強力だからです。
ちなみに、インセンティブ(動機)が最も高いのは消費でしょうか。
”学びて” には、学びを得る自由と権利があり、地方公共団体は住民のために「場=拠点機能」を提供する義務があります。
しかも、こういった前提だけでは主体性は育ちませんので、政策やそれに依らない人的支援も必要です。それが変化と持続をもたらします。
主体性そのものも持続可能性の種ですが、さらに意識的に、持続可能性の芽出しと成長の必要があり、そのために、官民連携による共創や市民主体のまちづくり活動において、可能な限り生産性の高いガバナンス(統治、統制)のもと、学びの生態系(教育エコシステム)を構築していく必要があります。
行政の立場は、「社会的責任の担い手」による社会的インパクトを理解し、自らの実行と、政策決定をしていかなくてはなりません。
エコシステムを構築するために、複数のステークホルダーの連携を可視化する必要があります。そこでそれぞれのステークホルダーは、自身の役割はどうか、の立ち位置を明確化したうえで連携し、さらにステークホルダー同士を管理するガバナンスが、最も重要であることも付け加えます。
(ESDの取り組みへ)
提供される場は、仮想でも現実(バーチャル・リアル)でも、より適した環境であればこだわりません。 図書館、公民館、博物館、スポーツ施設、もちろん学校。いわゆる社会教育施設・文教施設から、ラフなコワーキングスペースや公園、多目的広場などや、ウェブサービスまで。提供主体が公共団体、企業、地域、家庭、学校、それぞによって、また関わる主体によって、場やプロセス、支援など変わってくることもありますが、基本はどれも同じです。
こうした開発は固定観念こそ最大の障害です。
さて、こうしたロジックにより、人は、地域は、あらゆるステークホルダーは、「持続可能な開発のための教育」にどうアプローチするか。そこが論点で、創造的かつ面白いところです。
(例1.企業CSRのESD化)
民間企業は社会貢献を実践して久しく、一層深化する傾向にあります。そうした企業は理念に則り、より地域のために、社会のために、多様な主体を巻き込んでそれぞれの活動を行います(官民連携、産学連携、リビングラボなど)。また純粋な収益活動から教育に軸足を移していく事例や、社会貢献そのものをビジネスにする、社会的企業もあります。 このように企業の社会的責任(CSR)も変様しています。
流行としてのCSR → 戦力的CSR → 本質としてのCSR
最後のは、CSR 3.0 と呼ぶらしいです。そこで、人材育成に繋がっていくということです。
『次世代CSRとESD 企業のためのサステナビリティ教育(2011)』はたいへん良い理解につながりました。
(例2.自治体政策としてのESD)
公共団体は住民と協働で、場を価値の高いものにしていきます。場のソフト的デザインの必要です。そこに細心の注意と社会的責任感、行政なりの自主性がなくては、政策は成り立ちません。
現場を読むこと、課題解決の仮説をたてること、未来ビジョンを描くこと、共有して共創を生み育むこと。
以下は、岡山市のESD(持続可能な開発のための教育)の取り組みの紹介です。
ホームページの公民館の理念にこうありました。
「ともに わたしたちが 未来をつくる 開かれた公民館」
文言だけでは評価できませんが、以下、参考になります。
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~ともに わたしたちが 未来をつくる 開かれた公民館~
公民館は社会教育法によって市町村が設置している施設です。
岡山市には、37の公民館が、ほぼ中学校区に1つあります。
多くの公民館に図書コーナー(3館は図書館)が併設され、会議室や料理、工芸等ができる部屋、ダンスなどができる実技室等を備えています。
公民館は、年齢や性別、国籍、障害の有無などに関係なく誰もが利用できます。
公民館は、地域に住む人が出会うつながる集いの場、自分たちで学びたいことを学び合う場であるとともに、そこでの学びや活動、人とのつながりをとおして、持続可能な地域づくりにつながる力を生み出す地域の拠点です。
岡山市の公民館では、ESDの視点を取り入れて、岡山市の重要な地域課題と関わる8つの重点分野(地域づくり、共生、防災・安全安心、環境、健康、男女共同参画、子育て、長寿社会)に関する主催講座や、地域課題の解決に向けた担い手が育つ場づくり、地域づくりの推進のためのコーディネートなどの取組も職員と市民が協働で進めています。
「ともに わたしたちが 未来をつくる 開かれた公民館」
だれもが気軽に立ち寄れ、未来の地域づくりにもつながる公民館をぜひご活用ください。
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ウェブはこちら
さいごに
持続可能な開発のための教育。意味も内容も分かりにくいものかもしれませんが、 個人のレベルの実践はそう難しくありません。心がけないといけないのが、「なぜこれをやるの?」「今のやりかたでいいの?」 です。
こうした自らへの問いかけと、それを支える自主性。これが伴わなければ、何の意味も無いものになっていってしまうと私は思います。
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