2023年8月26日土曜日

市民は志を持って議会を支援し、自治を見つめ直すことが今必要なこと

心境について

議員は選挙に勝つという大前提があります。

私は時に、有権者のために行うことと自分の正義感や体質との矛盾を妥協したり、自分を偽るようなこともやりながら勤めてきました。市民のための仕事なので当然です。

そこで、きちんと処理できる人が続けられるのですし、取捨選択を的確に行い課題をこなせる人物が政治家に向いているのでしょう。

"先生"と呼ばれて頭を下げられる立場については全く興味がなかったので、そのために議員であることの意義や価値については一切考えたことがありませんでした。

溜まりに溜まった課題に向き合うだけの自身の実力不足を認め、今は大人しく自分が自分のパフォーマンスを最大に発揮できるように、必要と思う時間を費やす選択をしました。


議員の多忙と危険なスパイラル

勉強を怠っている議員が少なくないのが現状、個人的な印象です。

市の条例や要綱、総合計画と個別計画、それらの内容と相互関係、財政上の仕組み。

そして行政経営方針や市長の施政方針、国政・県政・市政の関係性、中長期的な計画を俯瞰的に監視する活動、その上での政策提案(社会経済、環境、子育て教育の課題、医療福祉、防災などなど)。

果たしてこれは議員一人でやれることでしょうか?


一般的には、分野に特化するか、予算執行や事業の進捗を時々の断面でしか見ざるを得なくなる。選挙絡みで多忙な時期は、全く勉強が足りていないにも関わらずなんとなくやり過ごしてしまう。また、そんな仕事のしかたをしていても、たいていの有権者は許してしまいます。なぜなら、議会活動を評価できるほど(全員とは言いませんが)市民は議会に関心が無いからです。

そんな中で麻痺した議員が、自分の権力を勘違いしたらたいへんなことです。


議員の本来は、地域の将来に対する地道な研究と提案、監査、指摘、指導、新たな人脈形成が大切だと思います、これは私の考えです。ところが、市民や地域の自主性を重んじ育てることをせず、水を引っ張ってくるほうに軸足が行ってしまう議員が少なからずいること。さらに議会活動を評価できない市民の多いこと。

ニワトリと卵のようですが、市政や議会に関心が向かないことで議会における議員の評価ができない。議員のなり手がいない。議会が成長しない。関心が向かない・・


この悪循環に、「議員は忙しいから」とあえて養護しません。議員にもちろん責任があります。


選挙について雑感

一般的に議員は、時間が全く足りなくて勉強素材や課題がどんどん溜まってしまい困惑しそうなものなのに、その苦痛を嘆く声を前の議会では聞いたことがありませんでした。言葉にしないだけで内心は違っていたのだと思いますが。

状況を正しく分析したり本質が見抜けなくても選挙にさえ勝てば議員でいられる。もしそんな認識でいたとしたら、執行部からそんなレベルの議会に対し、「町を維持・成長させるためのパートナーとして」は扱ってもらえないでしょう。

執行部の上部は議会を乗り切ることだけ考えて、部下は、横の連携や事業の成長など考えず、市民のための仕事を実感できないまま、自分の眼の前の仕事だけ片付けて上の指示を仰ぐだけ。

市も議員も市民も誤解の中で4年が過ぎ、議会活動は評価されずに数ヶ月のアピール合戦と客の奪い合いの人気投票みたいな選挙を迎える。そうではなく議会での仕事ぶりを評価して欲しい。


他の自治体の実態は分からないので断言はできませんが、地方自治体レベルの議員でしたら政党との繋がりや特定の支援団体が無くても当選できると思います。だから、執行部に純粋に疑問点をぶつけられる議員や、市民の代弁ではなく、自分主体の発言や思いつきの意思表示ができる新人議員がいたりしても、それも多様なまちづくりのために貴重な存在だと思います。

私は今ギリギリ、精神的にどちらつかずの時期にある今だから喋れる事として、「議会はもっと発信して、市民はもっと主体的に市政に参画すべき」です。


パートナー型議会運営へ、そこにサポーターが必要

議員(議会)にはサポーターが必要だと考えます。

昔の政治家のようにこの人に任せておけば、の時代ではありません。議員は市民のパートナーとして活動し、市民は市政に脚も頭も口も突っ込んで自己実現と、自ら地域の課題解決をすべきです。


そのためには議員や議会には中間支援的なサポーターが必要です。彼らは時間のコスパをあげ、効率よく議員(議会)活動を発信し、市民が議会を把握し、それによって市民の主体的な自治に向けた政策提案を実現するよう振る舞います。

議会事務局においては議員を支え、より質の高い議会運営をするための影武者として。


事務局の増員や議会局の設置など、執行部はそうした検討をすることは無いでしょう。

議会が成熟するのが本来ですが、それを議会だけに担わすには荷が重すぎる。

まずは、市民が議会をチェックして、議員をしっかり評価すべきです。

市民がそれぞれのフィールドで、議会について意見交換するような場も欲しいです。

そうした中から、私達の自治体に必要な議員像や議会を作り上げていくのが大事ではないでしょうか。


振り返って

私が議員の時に発言したり、提案したことなどなど、責任を持って行動したつもりでしたが、満足な動きをして貰えなかった悔しさを忘れることはありません。ただし、議員がいくら頑張っても、市民が動かない自治体では何も変えられない。今はそう納得して、市民の義務と権利を見返しつつ、市民の役割を一所懸命やろうと考えています。

もう一つ、これまでは住民、市民を最優先に考えてきましたが、よりよい社会のために自分も大切にすべきと思いました。


2022年3月7日月曜日

人の振り見て我が振り直せ!で「生涯学習講座」考

自分らしさが大切。ひとまねはボロがでてしまいますよね。
それに、自分にしかない良さを殺してしまうことになりかねませんよね。

私も上手に勉強しないといけないと思う日々です。
今回は、行政が行う「生涯学習講座」を考えてみます。
「持続可能な学び合い」の参考になれば幸いです。

ところで、そもそも 生涯学習とは → 国のすこし難しい説明(文科省へ)

現実には、生涯学習の取り組みは自治体によってさまざまで、どのように学べるか? は、自治体の考え方が大きく影響するものです。

ポイントは「人の振り見て 我が振り直せ」

人の振り見て 我が振り直せ とは、他人の行動を見たうえで
  1. 良いところは見習う
  2. 悪いところは自分の振る舞いを反省する
  3. 直すべきところは改める
そこで、もし自分が講座の企画者だとしたら、どのように運営したらよいか考えてみてください。

▶ 企画の運営にはお金がかかります、持続するにはどうしたらいいかな。
▶ 講師はどうしたらいいですか。
▶ 受講者は何を望んでいますか。
▶ 何を目標にしますか。目指す姿はどのようですか。

M市の生涯学習講座(人口約3万人)と、A市の生涯学習講座(人口約12万人)を比較してみましょう。


再度ポイントです!

それぞれの良いところ悪いところを見つけて、なぜそう思うかなそうするには何を改善すればいいかな、を自分なりに考えてみることにしましょう。
これをテーマに、家族や一緒に活動している仲間と意見交換してみるのもいいですね。
そこで、分からないことや、思ったことがあれば、村越にお伝えください。(お話会も歓迎す)

2021年8月4日水曜日

私の自治のロジック

地域を育てていくには住民の批判的思考(クリティカル・シンキング)が欠かせない思っています。
これは本当に正しいか、もっと違う方法はないか、こうしたらどうなったか、こうした客観的判断力です。

クリティカルシンキングは、妙高市が取り組もうとうしているイエナプラン教育のコンセプトにも入っていて、そこでなぜ私が家庭や地域の理解に重きをおくかというと、住民が子どもと共に課題解決のための議論(対話)に参加すべきと思うからです。またイエナプラン教育には学習者が主体的な行動にベクトルが向くための要素も含まれます。

地域の改革は内発的には起こりにくく、被災や教育がそれを牽引する力があります。
本来、文化活動やスポーツといった生涯学習活動により冒頭述べたような経験が自分に積まれていくもので、これは自助努力にあたります。

生涯学習活動は「環境」に影響されるところが非常に大きく、(物理的な)場がある、仲間がいる、興味深い資料やツールが備わっている、チャンスがある・・。家庭の環境も大きいですが、「環境」とはこのような自分の背中をポンと押してもらえるようなものです。
ただしそうした恩恵は結果的に個人・家庭・地域・自治体によって格差があります。

被災は進んでするものではありませんが、チャンスは活かせます。他の地域に学ぶ、過去の災害に学ぶ、今起きている災害に学ぶ・・それにしてもある種の余裕や個々の考えにより一定の認識は導きにくいものです。地域と関わりの薄かった次の担い手はどう考えているでしょうか。

一方、学校教育には場があり、仲間がいて、カリキュラム(指導要領)とプロの指導者がいるという国が保障する仕組みが確立されています。これを地域が活用するのが最も合理的で学校教育の今後の姿だと考えます。

そうした中、教師の働き方改革にも拍車がかかり、地域と学校の協働が叫ばれ様々な支援が及んでいる実態にどう対応していくか、ここに縦割りを打破した行政の役割が存在するのではないでしょうか。 

2021年3月21日日曜日

地味に漂流クアオルト

 ホットアリーナ、妙高高原体育館ができて4年が経った。

クアオルトプログラム(健康保養地事業)の拠点としてスタートしたが今ひとつ波に乗れている気がしない。

  • H28 健康保険課 > 総合健康都市推進室 > 健康保養地(クアオルト)係/Y係長
  • H29 健康保険課 > 総合健康都市推進室 > 健康保養地(クアオルト)係/Y係長
    • 4/20 ホットアリーナ、妙高高原体育館オープン
  • H30 生涯学習課 > 健康スポーツ振興室/Y室長 > 健康保養地係/S係長
  • R1 生涯学習課 > 健康スポーツ振興室/Y室長 > 健康保養地係/S係長
  • R2 健康保険課 > 健康づくり係/T係長
  • R3 観光商工課 > (不明)係
令和3年度どうなることやら

2021年1月22日金曜日

アフターコロナの過疎地域の選択は(地域運営組織の再考)

 国が進める地域運営組織については過去に取り上げ(私が注視するローカルアベノミクスの「地域運営組織」2016年)議会でも質問した。4年後 妙高市は2020年(令和2年度)第3次妙高市総合計画に盛り込みようやくこの地域運営組織に取り組み始めた。 地域運営組織とは、住民が組織を作り自分たちの生活に関わる様々な事業運営や課題解決を行う住民自治組織のことだ。
地域運営組織づくりに定石など無いと当時からそう思っていた。地域にはそれぞれの特有の事情があり同じものは2つと無い。そのため当てはめ型の政策は間違いなくうまくいかない。

人口減少、高齢化する地域社会はコロナ禍でどんな変化があったか。2019年までと同じやりかたで進めて良いものか。
改めて整理してみた。

地域運営組織とは 共助の再構築である

段階的な変化:「自分のため(自助)」から「持続可能な地域」へ

1step.自分のために自分のことを →あたりまえだけど先ずは自分

自分のスキルアップや体力づくり、収入アップも含めて楽しく暮らすための活動

2step. 自分のために周りのことを →自分だけ楽しくても幸せではない

自分だけが良ければという論理は崩れ去る。企業活動も含め自分ができることで周囲の環境改善を試み、影響を計測する

3step.全体のために自分のことを →みんなのために自分が動いてみる

さらなる地域環境の改善のために自分の可能性の拡大を試み、より社会性を帯びた活動へ

4step.自分たちで全体のことを →みんなで動くことでみんなが幸せになれる

自助・私助の限界の打破と協働のメリットを享受するため、共助のありかたを改めて考える

2020年12月31日木曜日

明日からの2021年はDXの年

「2021年はDXの年」と言っていい。
聞き慣れなかったらぜひ頭の片隅に置いておいてください。

DXとはデジタルトランスフォーメーションの略。よく「革新的なデジタル化」といった捉え方がされ、特に仕事の場でICTによるオートメーションがそれに当たる様な混同が起きていますが果たして。
気になっている方はそろそろ整理をしたほうが良いと思います。

手刈りの稲刈りが機械化によって、身体も楽で時短になった革命とはレベルが違う。
ドローンで農薬散布をしてスマート農業と言っていますが、それはDXとは言いません。

DXとは「デジタル化してまるごと変わる」こと。イメージ的には、レコードがCDに変わってもお店がやることはそんなに変わらなかったけど、音楽配信で業態が変わってしまったような?
フィルムカメラがデジカメに変わっても紙の写真は残ったけど、SNSやYoutubeが無料で誰でもやれるようになって写真屋さんの仕事が変わったような・・

いや、そんなレベルではなくて。

一部が変わるんじゃなくて「まるごと変わる」、です。
若しくは「新しいものが生まれる」。このインパクトは大きいです。

DXで、私達が意識しておきたいことは次の3点と考えます。

1.地域や社会や環境に優しい画期的なアイディアやサービスが生まれてきます。例えばデータを活用したシェアリングのような動きです。これによって社会の課題解決が大きく、また一部前進するでしょう。私達の暮らしも変わります。

2.そうはいっても、そうしたメリットを積極的に受けられる方とそうでない方の差が大きくなるでしょう。一時的かもしれませんが、そこで大小のペナルティが生じると思って良いと思います。

3.同時にベンダーとなり得るかどうか。要するにあなた若しくはあなたが参画する事業体が、提供側としてDXとどう関わるかで、社会的な支援の位置づけがまるっきり変わってしまいます。
ほおっておいても巻き込まれます。上手に巻き込まれるか、ベンチャーなら巻き込む方ですね。


企業、行政、市民に、NPO、研究機関それぞれの立場で何をするか、明確になっているでしょうか。
今ならやれます。あえて巻き込まれるか、巻き込む立場になるかの選択が。

一点、行政は公平な立場から、判断を間違ってしまう側面がつきまとうのではないでしょうか。
例えば、ゆくゆく命に関わる病の治療で大手術をするかしないかの判断の時。そこでは、如何に生き延びるかではなく、どう生きたいかを問うはずです。
行政は当然、将来に渡って市民がどう在りたいかを慮って行動すべきです。血を流す流さないが一番の問題ではないのであって。

度々人口減少の話になりますが、後戻りはできません。気象変動への対策が遅すぎた感満載ですが、暮らしをどう守っていくか、DXは最終局面の救世主、私はそんな捉え方をしています。